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いとしの フィリーズ

 

たとえ弱くても大好きな想い出の野球チームというのがある。私にとって、それは 西鉄ライオンズフィラデルフィア・フィリーズ だ。
大リーグのワールドシリーズの季節になると、1993年の留学していた頃を思い出す。いとしのフィリーズの奇跡を・・・ 彼らは前年度、ビリの完璧な落ちこぼれチームだった。 

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あの頃、私には初めての子供が生まれた。9月、研究室の中の電話で家内からの知らせを聞いた。信じられないけど、嬉しかった。地元フィリーズワールドシリーズ出場が決まって、私は娘の「お宮参り」のために慌ただしく一時帰国した。わずかな滞在のとんぼ返り。成田でシリーズの開幕を見た。
あの当時、大リーグには日本人選手は誰もいなかった。それはそれで雰囲気を持ったベースボールであったと思う。 

長い歴史を持つものの世界一になったことは1度しかないフィラデルフィア・フィリーズ2004年には天然芝の新球場を開場したが、当時はフットボールイーグルスと兼用のベテランズスタジアム。研究室の仲間達で、ボスが不在の真昼間、地下鉄を乗り継いで観戦に出かけた。

ナショナルリーグの創立された1876年、フィラデルフィアにもプロ球団が誕生したが、現在のフィリーズにつながるチームは80年にリーグ加盟のルビーレッグスであり、このチームが83年からフィラデルフィアに本拠を移し、90年にフィリーズにチーム名を変更したのが歴史の始まりである。それ以降、フィラデルフィアにずっと腰を落ち着けることになり、フランチャイズの移転がないという意味では野球以外のプロスポーツ史上でも最長の記録でありプロスポーツ史上最も長く続いているニックネームでもある。勿論、NYヤンキースよりもずっと歴史が長い。

フィリーズの1年目は17勝81敗と散々なもので、優勝とは縁はないチームであったが、1900年頃にかけてチーム力が向上し、優勝を狙えるほどのチームに変貌した。
1901年にアメリカンリーグが創立されることが決まり、本拠地であるフィラデルフィアにはもう1チームのアスレティックスが誕生した。低迷するフィリーズとは対照的に、他チームの選手を獲得するなど積極的に補強を進めていったアスレティックスとの差は歴然たるものとなっていく。55年にカンザスフランチャイズを移すまで、フィラデルフィアではアスレティックスの方が強かったと言えよう。14年、アスレティックスは2年連続でリーグ優勝を果たすが、ブレーブスに4連敗で敗れると、翌年にはアリーグ最下位に転落。それと入れ替わるように15年、フィリーズがナリーグ初優勝を飾った。優勝後は2年連続で2位に終わるが、主力を放出し低空飛行を続けることになる。

 

1950年、球団史上2度目のリーグ優勝を飾ったフィリーズ。58年からは4年連続最下位と再びかつてのようなチーム状況に戻ってしまい、61年には23連敗という不名誉な記録も作ってしまった。71年にベテランズスタジアムに本拠地を移し、カージナルスから20勝をマークしていたカールトンを獲得。移籍1年目の72年、チーム成績は59勝97敗の最下位だったが、その中でカールトンは27勝もマークした。マイク・シュミットがメジャー昇格を果たし74年に本塁打王に輝くと、それ以降は揺るぐことのないチームの主砲となった。こうしてカールトンにシュミットという投打の軸を手にしたフィリーズ。76年、77年、78年と地区優勝を果たし、79年にはピート・ローズを獲得。こうして迎えた80年、エースのカールトンは24勝、主砲のシュミットは二冠王に輝いた。2年ぶりに地区優勝を果たしたフィリーズは、フィラデルフィアに本拠を構えて実に98年目にして球団史上初の世界一に輝いたが、その後のフィリーズは再び低迷した。

92年は地区最下位に終わり、翌93年開幕前は最下位という予想がほとんどの中、エースのカート・シリングを擁し、リーグチャンピオンシップシリーズでも、2年連続でリーグ優勝している絶頂期のマダックスのいるブレーブスを相手に勝利を収めた。ワールドシリーズでは前年世界一のブルージェイズと対戦。2勝3敗で迎えた第6戦、Wild Things:ミッチ・ウイリアムが逆転サヨナラ3ランHRを打たれ、敗れてしまう。不幸にも、Hall of Feebleに選ばれてしまう。また、4番のJohn Krukのバッティングは、「お前はプロレスラーか?」と感じたほどだった。 

残念、といえば残念だが、この年のフィリーズはズバ抜けて素敵で凄かった。今では弱い「いとしのフィリーズ」だが、いつまでもオレは忘れないよ。

 

読んでくれてありがとう。