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法然院 My Favorite

全国一斉に行楽シーズンに突入して賑やかであるが、妻が実の父親と京都に旅をしたいと、明日から二人で出かけていく。

「11月1日から5日まで京都御所の一般公開をやってるよ、家族で行こうか?」といったら、あいにく娘の文化祭。「残念だね、でもお父さんを誘って京都でも行ってきたら?」って何となく奨めたら、急に乗り気になった妻は、多分生れて初めての父親との二人旅をする決心をしたようだ。私の両親が今でも海外旅行に出かけていくので、今のうちに「親孝行」をしたいと感じ出したのであろう。80歳を迎える彼女の父親も現役の医師であるが、今まで仕事一筋で海外旅行をしたことが無い。まだボケ症状は見られないが、何度か病気もして決して完璧な体調ではないはずだ。また私が知る限り、この10年間に泊りがけ(といっても一泊だが)で旅行した事は、多くても5回位しかないはずだ。いい事だと思ったので、子供の面倒は自分で見ることにして気持ちよく送り出してやろうと思う。ピークシーズンであったが、幸いにも素敵なホテルも予約出来たので幸いだった。義父にとっての一年間は重要なハズだから・・・

二日間のスケジュールは私が立ててあげた。特別公開のものを中心に、私の好みも織り交ぜながら観光ガイドタクシーにも負けないプランになったと自負している。ただ、暖かいので全く紅葉は期待できそうも無いので、義父が望んだ高雄方面は外れる事になった。

その中で、11月1日から7日まで特別公開されている「法然院」だけは、妻にも見せておきたかった。といっても、今年既に彼女は訪れた事があり、初めてではない。ただ、除夜の鐘を突かせてもらいに家族全員で大晦日に出かけていったので、彼女は昼間の姿を全く知らないというわけだ。この法然院は、私が京都に行くたびについつい行ってしまう My Favorite 寺院である。20歳頃からのお気に入りであるから、結構永~い。元々は単に雰囲気や佇まいやロケーションなどに引かれて静かな時間を求めに行っていたのだが、ここ数年は梶田貫主のお人柄や考え方に惹かれるようになった。

我が家の宗派は浄土宗で、知恩院が総本山。法然さんが宗祖であり法然院も身近に感じてきたのは確かだ。しかし、私は法然の教えをよ良く知らないバチ当たり者でもある。ただ、梶田師の生き様はとても素敵だと思う。お話した事も無ければ、檀家でもないが、京都のFM放送のポッドキャスティングで遠くにいながらでも身近に感じられる。いい時代になったものだと思う。

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妻には、墓所をよく見ておいで・・と言った。谷崎潤一郎の墓を見て来いと言ったわけではない。俺が予想外に早く死んだら、梶田さんに頼み込んで法然院墓所に俺の墓を建てさせてもらうよう懇願するため下見をしておいで・・・という切ない気持ちからだった(チョッと早すぎか・・)。私自身も死ぬ前に、梶田さんの言葉にもっと触れ、法然院の空気を自然に吸えるように心を磨いていきたいと思う。そのための最短距離はやはり、日々の診療の場面で患者さんを精神誠意診察していく事だろうと考えている。

 

 

読んでくれてどうもありがとう。

  

梶田真章  法然院 貫主
1956年、浄土宗大本山金戒光明寺の塔頭寺院に生まれる。哲学の道に近く、境内には樹木がうっそうと茂る法然院は、作家の谷崎潤一郎ら多くの文化人が眠る寺としても知られる単立寺院。325年の伝統を持つ古刹を、先代貫主だった父親の橋本峰雄師の死去に伴い、27歳の若さで継いだ。境内の豊かないのちの営みを生かした環境学習活動「森の教室」のほか、芸術家の発表など市民の出会いの場として伽藍(がらん)を開放、寺院の可能性を追求している。

 

以下、梶田さんの講演記事からコピペ 

◆日本人の宗教心 

日本の仏教を真実の意味で「葬式仏教」にするという先代の方針に沿って1984年から法然院を預かっています。元来の葬式仏教は誇るべきもので、高度経済成長期までは日本人の宗教心を培ってきました。葬式仏教民俗学者は「先祖教」と呼んでいます。それが時代に合わなくなって来ているのを踏まえ、話を進めたいと思います。

日本には現在、7万5000の寺があります。なぜそんなにたくさんあるのかといえば葬式と法事をしてきたからです。寺の基盤を維持するには檀家との関係が大切でした。檀家という維持基盤を生かして、それ以外の人とも付き合い、縁を結ぶ。これが大事なことと思い、寺を預かってきました。

日本人の中には「自分は無宗教」と言う人が多いようですが、日本人に決して宗教心がないわけではありません。お盆や彼岸になると墓参りに出掛け、正月には初詣でのため神社がにぎわいます。

先祖教による宗教心を培ってきたにもかかわらず、明治時代以降、キリスト教仏教のように特定の神仏を信仰するのが「宗教」だと思い込まされたため、日本人は「自分は無宗教」だと言うようになりました。 日本でお寺が一番多く建てられたのは戦国時代から江戸初期にかけてです。室町時代には農業の生産力も上がって、一時的に飢饉があっても、村は存続できるようになりました。こうして村で死んだ人を村全体で弔うという宗教がおこりました。

大きな本山は別ですが、小さな寺は最初から浄土真宗日蓮宗の教えを広めようといった形で建ったのではありません。葬式、法事を行ってきたのが寺の歴史で、先祖教の儀式の場を寺が担ってきたのです。

◆先祖教の特色 

先祖教には4つの特色があると、民俗学者柳田国男さんはまとめています。1つは、故人は子孫にまつられることによってご先祖さまになるということ。2つ目はこの世とあの世の交流が自由であること。特にお盆と正月は重要で、七夕も大事なお盆の行事。3つ目は臨終の際、子孫のための願いが死後に必ず達成されると考えられたこと。最後は死んでも2度、3度と生まれ変わり、同じ事業を続けることができると信じられたことです。

先祖といっても、今は各家の先祖を意味するようになっています。これは家に仏壇を置くようになった江戸中期からです。当初は村で死んだ人を村全体の先祖としていましたが、先祖という観念がやせ細ってきたのです。

僧侶は、先祖を超えた三界万霊を常に意識し、全精霊の成仏を祈ってきました。故人の何回忌をしても、それだけは先祖教であって仏教ではありません。仏教は一切の生きとし生けるものの成仏を祈って儀式を行います。皆様方の意識の中では先祖教だけれども、仏教の精神をちょっと儀式の中に入れているのです。先祖だけを拝んでいるのか、一切の生きとし生けるものの救済を祈っているのか、そこが先祖教と仏教の分かれ目です。

仏教について 

お釈迦様の悟りを漢字2文字でかけば「縁起」、1文字なら「空」と私は答えます。お釈迦様の教えの中には一切皆苦というものがあります。「苦」を私は「自分の思うままにならないこと」と解釈しています。私の人生は自分で決めているようで、実は、みんなで決めているのです。

思い通りにはならず、生きていくのに悩み苦しむのは当たり前で、お釈迦様は苦しみたくなかったら「我にこだわるな」ということを言っておられます。そんなことを言っても煩悩を断てない人もいます。「ありのままに生きれば、いいじゃないか」と言ったのが法然親鸞なのです。

仏陀への道 

悟りへの道には各宗派の教えがあって「自力で修行して悟れ」という宗派と、「信心によって仏の力で成仏させて頂く」他力の教えがあります。仏教で言う他力は仏さんの力。その考え方の代表が法然親鸞です。さらに、どのようにして悟るのか、自力か他力か、この世かあの世か。この組み合わせでいろんな宗派が生まれてきました。

だから、法然についていくのか、空海についていくのかは自分で決めてもらわないといけない。お釈迦さまが悟りを説いたけれど、悟る方法はいろんな時代のお坊さんがこんな方法があるんじゃないかと考えてきました。

これまで、各宗派の違いについてあまり関心は持たれず、とにかく葬式ができたら、法然でも空海でもどちらでもいいという感じでした。そういう宗教心で、日本人は高度経済成長期まで満足してきましたが、その後、先祖教の力が非常に弱くなりました。

例えば、日本人にとって大事な言葉に「ふるさと」があります。先祖教では、ふるさとは先祖と私がつながって生きていると実感できる場所としてはっきりしていました。

墓参りの際に手向ける水は「ふるさと」のシンボルです。しかし、高度経済成長で親子がばらばらに住むようになると、どこに行ったら先祖とつながっているのかはっきりしなくなりました。ふるさとが急速に失われたのです。

これまで各宗派のお寺は仏教を説いて来なかった。皆さんの中にもお寺という場所がお釈迦さまや法然親鸞日蓮道元らの教えを聞きに行く場所だという気持ちがあまりなかったし、お寺の方も答えていく習慣がありませんでした。

高度経済成長期以降、先祖教で満足できない人たちへの対応が、寺として遅れてきたことが浮き彫りになってきたと思います。今、寺はそういう人たちに、どんなメッセージを発信していけるのか問われていると思います。

法然親鸞の人間観 

そこで、せっかく法然院から来ているので、法然親鸞が説いた悟りへの道を少し紹介してみたいと思います。

まず、法然親鸞はどのように人間を見たか。人はすぐ、あの人はいい人だ、悪い人だとレッテルを張ります。法然親鸞は人間はみんな凡夫であって、自由意志で修行を積んで悟りを開くことはできない、自力では悟れないと考えました。

なぜなら、縁によって悪くなったり、良くなったりするから、その人が良いか悪いかは、その人が出会う人や物によってコロコロと変わると考えました。法然は言います。「われらが往生は、ゆめゆめ、わが身のよしあしきにはより候まじ。ひとえに仏の御ちからにばかりにて候べきなり」

極楽往生に私の善悪は関係がないということです。これは平安時代にはとんでもない考えでした。従来の仏教では良いことをした人が極楽に行き、悪いことをした人は地獄に行くと教えていましたが、平安末期の法然は、良いことをしなくても阿弥陀仏の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、どんな人間でも往生できると言ったのです。さらに「往生は一定と思えば、一定なり。不定と思えば、不定なり」とも説きました。これは極楽に往けるかどうかは、あなたの信心が決めるという意味です。阿弥陀様に「私をよろしくお願いします」と任せるという意味です。

一方、親鸞南無阿弥陀仏は感謝なんだ」と言いました。阿弥陀様に任せ、救われることが決まって、有り難うございますという感謝を表現しなさいと説きました。「どうぞよろしくお願いします」というのが法然、「どうもありがとうございます」というのが親鸞なんです。

仏様になるには、いろんな道がある。どれが正しいということではなく、自分の宗教的素質や能力を自分で見極めて選ぶことに各宗派が存在する意味があるのです。各宗派の教えは、皆様方の新たな「ふるさと」となれるでしょうか。

現代における法然院の役割について 

法然院では私が住職になってから「お寺が意味のある場所だ」と感じてもらうことから始めました。1つは檀信徒との信頼関係を築き、葬式、法事を執り行うことです。この住職に葬式をやってもらうんだとお付き合いをしたうえで、お葬式をさせて頂くのが檀那(だんな)寺としては一番大事なことだと思います。2つ目は檀家以外の人にとっても仏と人、人と人、人と他の生き物とのつながりを実感していただける場を提供すること。つまり、「縁起」という真理や、なるべく生き物を殺さない生活を心掛ける「不殺生戒」を説いていくことです。

この世はすぐには良い方向に変わりません。ただ、1人1人の願いがずっと続いていくことで、長い時間でみると変わっていくかも知れません。悲願をもって1人1人が変える1つの力になっていこうとするのが仏教の教えです。そして、私なりのささやかな慈悲を実践していくのが念仏者としての私の立場です。そういう気持ちで法然院を今後も預かっていきたいと思っています。   (2005年07月06日  読売新聞)