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Back To The Street ふろむ診療所

2008年8月某日 逃散の行方(2)

数年前に厚労省の肝いりで始まった新臨床研修制度は、当初から医療現場で多くの問題点が指摘され、各方面からの批判も多かったが、中央官庁の官僚達の明らかな失策も、大学病院や研修指定病院の多くの医師達の献身的な自己犠牲の精神から何とか完全崩壊は免れていた。

それまで卒後研修の主な受け皿であった大学病院の研修希望者が研修初年度から次第に減り始め、その煽りで市中病院から次々に中堅医師達が大学病院に引き上げられていった。眼科や皮膚科などが大量の研修希望者で溢れる傍ら、産婦人科・小児科・脳外科などの入局者の減少が報道されるようになり、やっと医療崩壊の状況が認知されるようになった。しかし、そのマスコミ報道の内容たるや、医師の労働問題や自己犠牲、訴訟リスクの問題を避けつつ、更なる「病院や医師の集約化」という名の「地方や弱者切捨て」政策を益々後押しするお粗末さだった。

それに対する医師達の反乱が『マスコミへの就職活動』という形でこの夏の就職戦線に大きな影響を及ぼしている。なにしろ、医学部の学生達は私立文系の軟弱学生達には負けるはずはなく、大手キー局は東大や京大医学部などの優秀な医学生達にどう対応すべきか、いまだ方針を決めかねていた。『色んな意味で彼らを全員不採用にはしがたい・・しかし、どのような意図があるのか・・』

昨年の3月に国立循環器病センターのICUスタッフ全員が一斉辞職した際には、多くの医師達、とりわけ大学トップの優秀な医師達に激しい衝撃を与えた。結局、辞職したポストに敢えて挑戦する有能な医師は見つからず、国立循環器病センターの医療レベルはガタ落ちし、全国の若手循環器専門医の憧れの病院という地位から簡単に転落してしまった。病院の質を規定するのはスタッフ、特に指導医のレベルと、有能な研修医を低報酬ながら集める学問的魅力であった事を文系エリートの厚労省官僚は全く理解し得なかったようだ。このあと、国立がんセンター虎ノ門病院の指導医達の一斉退職という連鎖を招いた。

 

しかし、大学内では「別の逃散計画」が秘かに進行していた。今度の主役は、なんと「教授」たちだった・・・

2008年の厳しい診療報酬削減は、数年前に独立行政法人化していた大学医学部を経済的にも直撃した。国立という公務員の立場と、削減対象の診療部門のトップの立場、攻撃対象の悪役である医局トップの立場・・ 夫々に難しい局面になっていた。訴訟の矛先が大学病院に向かった際に記者会見で頭を下げる辛さ・・その割には、大企業トップの巨額報酬や特権とも無縁の慎ましやかな生活を送る彼らは、一昔前は理系エリートの頂点にいて、永い努力の後のご褒美を堪能していた。確かに、教授に上り詰める努力は相当なものがあり、現在の立場が不当に低いと感じられよう・・

だが、医局制度がターゲットになり、卒業生達が地味で辛い領域を避け、眼科や皮膚科などに集まって進みだすと、内科や外科の教授達にとっては明るい話題は皆無となり、学会等での非公式な会話では、局面打開に向けた教授達のヒソヒソ話が繰り広げられた。

そんな中で、全く異なる考え方をする医学部教授達が現れだした。彼らの殆どはまだ40代で、国立医学部のメジャー科の新進気鋭の若き教授達だった。中には、旧帝大のナンバー内科の流れを組む有力医局の教授も数名混ざっていたが、彼らに共通するのは、全員がアメリカ留学時代に華々しい業績をあげて、帰国後数年のうちに各地で教授選を勝ち抜き、就任後にもアメリカと伍して研究を進めていた点だ。

臨床研修制度が日本の医学部での研究レベル低下をもたらした事はあまり報道されていない。大学での研修医数減少は、すぐさま研究時間の極端な減少を招き、これまでの様な留学を推奨できる医局も非常に減少してしまった。全国の医学部で「研究への余裕」がなくなってしまったのだ。留学生の減少は数年後の日本の研究レベル低下に直結して、さらに留学を志向する医師の減少を招いた。既にアメリカでは、中国やインドの留学生に遅れを取っており、中東や南米の留学生にも抜かれようとしている。しかも、優秀な留学生は、成果を挙げた医師ほど日本への帰国を躊躇い始めている事を、「先輩としての」優秀な教授達は強く感じていた。

 

国内でも2007年4月以降、企業のM&Aが活性化しだした。特に外資比率が多い医薬製薬業界での再編と外資の参入は、良い薬品の開発が株価防衛の最も有効な方策となっていた。各製薬企業にとって優秀な指導者研究者の確保は至上命題であり、数年前から国内の優秀な研究者や教授にターゲットをしぼり始めていた。これまでにも数例のケースがあったし、留学先からの採用もあったが、国立病院機構の待遇が劣悪化し、医局崩壊のタイミングが重なったため、大手製薬会社のターゲットはアメリカ留学時代の実績充分で、帰国後も精力的に研究を続ける若き教授達に絞られていた。

留学時代に見たアメリカの姿と帰国後のギャップに彼らは困惑していた。何度も年棒5000万円以上と豊富な研究資金で誘われてきたものの、これまでは日本の医学研究と教育に情熱を傾けようとしていた。しかし、今の日本には恩返しをしたくなる雰囲気はどこにもなかった。旧帝大のメジャー科であろうと既に教授の権威や特権は失われており、研究環境も劣悪な状況であった。疲れきった医局員達や崩壊目前の地域医療への手立ても尽き果てそうだった。そして、教授達は、外資企業での活躍の場を選択した。

この8月、それまで互いに連絡を取り合って転身計画を進めていた数名の教授達が、夏休みを利用して外国企業との契約に家族を伴って赴いた。留学時のボス達にも相談し、その推薦状が役に立ったが、日本の夫々の医局員達にはまだ秘密にしていた。教授達の妻や家族達も外国企業への就職を喜んでいた。子供達にはコスモポリタンに成長して欲しいと全員が願っていた。再び遠くから眺める日本の医療や社会は、今度はどう感じられるのだろうか?

 

無事に契約を済ませた教授達は、8月の終わりに各大学で一斉に辞表を提出した。全国で7人の新進気鋭の教授達が日本を離れることは、大きな話題になった。中には、自分に後釜が回ってくる事を喜ぶ鈍感な医師もいたが、その時留学していた優秀な医師達は、感慨深くそのニュースを海外で聞いた。これは、日本の医学研究と医学教育において大きな転機となった。

数年後の日本の医学研究レベルは、二流国に転落するであろう。一度途切れた流れは、研究の分野では再興させることは臨床ほど容易くはない。これも日本国民の選択だと教授達は割り切って考えていた。

もう一つ、「教授の逃散」は、苦難に耐えてきた医師達に「逃散=再挑戦、転身」というポジティブなイメージを植えつけたことだ。怖いとか暗いとかのネガティブな感情が薄れた事の意味は計り知れない。医師達が、更なる挑戦の場を広く求めて「元気に逃散」しだした・・・

     (毎朝読新聞 青木記者 2008年8月某日) 

 

読んでくれてどうもありがとう。