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ダーウィンの足跡を訪ねて

先日の日曜日、僕は妻と二人で近くの高台にある見晴らしの良い喫茶店に遅い昼食をとりに出かけた。そこの「長崎チャンポン」は絶品で、食後のブレンドコーヒーを幸せな気分で頂く事が出来る喫茶店だ。

遠くに街を越えて海も見え景色が良いのは確かだが、霊園も望める場所なので住みたいとは感じない。久しぶりに妻と二人出かけて、僕は自分では最近買う気がしない新聞を手に取った。日曜日の読書欄に面白そうな本が数冊紹介してあったが、2009年は「種の起源」をダーウィン書いて150年、彼が生まれて200年になるのだという。そこで多くのダーウィンにちなんだ出版や行事がイギリスを中心に最近盛んなようである。

 

上の本が新聞に紹介されていたが、同時に頼んだ訳者の長谷川眞理子さんの【ダーウィンの足跡を訪ねて】の方が先に届いてしまい診療の合間に読み上げた。

 

種の起源」という名前は知っていても「ダーウィン進化論」を詳しく知る人は少ないだろうし、「種の起源」を実際に全部読んだ事のある人も少ないのではないだろうか? 「種の起源」は文庫版で800ページもあるらしいが、ダーウィンの事で初めて知る事があまりにも多くて、今は何となく気分がいい・・・

 

1809年、ウェールズ地方に程近いイングランド生れのダーウィンは、祖父・父が裕福な医師で名士であり、彼も兄も医学部に進学したが、性に合わず 2年ほどで中退したそうだ。有名なウエッジウッド家とダーウィン家は数代に渡って婚姻関係があり、ダーウィンの母も妻もウエッジウッド家の人で、一生定職につかずとも非常に裕福な暮らしが出来、素晴らしい学問的業績をあげられたようだ。しかし、10人の子供たちの多くは病弱で早死にしてしまい、近親婚の問題を真剣に悩んでいたようだ。チェコメンデルとは同時代ではあるが、彼はメンデルの業績を知らなかったらしく、ダーウィン自身も類似の実験を他の植物を用いて行っていたらしい。

 

彼は40歳の頃には無神論者として英国国教から距離を置いたようだが、それでも最後にはウエストミンスター寺院に葬られた。国家の英雄、世紀の科学者の一人であることは間違いない。ダビンチコードにもあったが、ニュートンの傍らにひっそりと眠る無心論者のダーウィン。「無神論化」は、多くの子供たちを苦しみの中で無くしたことや進化論研究の最中で到達した心境だったようだ。

 

彼自身も190cm以上の巨漢だったが病気がちで、1831年12月から5年間をかけて帆船軍艦ビーグル号で世界を回っている最中から体調が悪くなりだして、生涯様々な治療を試みたらしいが結局どれも無効だったようだ。「進化論という危険な思想に到達してしまった精神の葛藤からの心身症」というのが真相か・・・

今でこそローマ法王も生物進化を認めているが、精神の進化は認めてはいないらしい。月に人を送るアメリカですら「進化論」を否定し未だに神が全ての生物を創造したまま進化などしていない・・と教科書に書く人々が居るくらいだ。1859年当時の英国で彼がどんな思いで「種の起源」を著したかを思うと感慨深い。日本ではまだ明治維新も始まってはいなかった時代である。

 

思わず、別に頼んだ訳者の長谷川氏が著した本を先に読んでみたのだが、医師にならなかったダーウィンには様々な興味が湧いてきてしまった。彼が医師にならなくて人類にこれほどの貢献をしたのだから、ドロップアウト後の再チャレンジも素晴らしいものだと肯定的に考えたい。

この本はダーウィンの伝記ではない。しかし、同じ生物学者として思いを馳せるときの長谷川氏のトキメク気持がよく表現されていて楽しい本である。東大卒の才女で数度の留学経験もあり、僕ら医師にとっても非常に興味深い作品に仕上がっている。

来年はダーウィン年になりそうな予感・・・皆さん、ダーウィンンと一緒に生命の神秘を追体験してみませんか?

 

読んでくれてどうもありがとう。