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Back To The Street ふろむ診療所

同窓会①

昨年の暮れ、と言っても数日前のことだけど、僕は高校の同窓会に出かけた。

当日が近づいても何故か僕が出席をためらっていたのを気付いている友達はいなかったと思う。でも、仕事が忙しくて出れなくなればいいのに・・・と出発する直前まで悩んだ。ちょうど職員の急病で労務管理が危機的だったのもあり、レセプトが年末で危なげだったのもあり、色んな不可思議な感情が入り交じって30年ぶりの同窓会に出たがらない自分自身が少々つらかった。

 

何と言っても卒後30年ぶりの初めての本格的な同窓会だった。次がいつかも分からない。多くの友人が関東や外国で活躍しているからなかなか会えそうにない。近くで燻ってるのは何故か医者ばっかり・・・

男子校で医者になったのが多く、その関係でいまだに連絡がある人が数名はいるが、卒後すぐに一度近郊の同級会に出ただけで、ほとんどの人には30年ぶり、そうでなくても25年以上会っていない。当時の自分達の父親の年齢で初めて再開するのは変な感じである。

 

僕は連絡を入れていた通りに一時間以上も遅れて会場に着いた。扉の外で談笑しているクラスが違うのか顔は分からない。それでも恐る恐る会場に足を踏み入れた。確かに男ばかりで女性はいない、場所は確かだ・・・

運良くドアから一番近いテーブルが僕のクラスだったから・・・分かった、アイツラだ。中学から一緒だし、中には小学校の塾も一緒で38年程も前から知っている連中もいるので思い出すのに時間はかからなかった。

しかし、僕は特殊なクラスで三年間一緒のメンバーだったので、他のクラスの顔が逆にあまり分からなかったので困った。それでも眼が合うと思い出してしまう。体型も髪型も雰囲気も違っていて、手にはお酒やタバコを持っているが・・・やはり思い出す。僕は彼と何を話して良いのだろう? でも話さなくても気持は通じるみたいだ。胸に着けたネームプレートの写真と名前を覗き込んで確認する。これも30年前の写真だ。「murajun君、その顔はジャニーズだね。別人じゃん」と言われて喜んでいいのか悲しむべきか?

 

僕は会場で30年ぶりに懐かしい顔に出くわしたら絶対に泣くんじゃないかと心配していた、マジで。30年の月日は僕を涙もろい人間に変えていた。でもず~っとニコニコし通しだった、実際には。半分以上過ぎて到着したので集合写真も名刺交換も恩師の挨拶も幹事の挨拶も何にも聞いてないけど、行ってよかった。

このあと、二次会・三次会で午前二時まで過ごしてしまったし、ず~っと帰りたくなかった。

 

先輩や後輩にはテレビやニュースを騒がせた有名な同窓生もいるが、僕らの学年は非常に「普通」のようだ。医者が30%以上なのであるが、大学が違うと生活の場も異なり、科も違えば考える事も違う。その他の仕事で活躍している連中と話すのも楽しいが、人生の選択を考えると少々複雑な心境になったのも事実である。

 

配布された出席者などからの「近況報告」を読むと、医師(特に開業医)からのボヤキが非常に目立つ。収入的には恐らく少しは多いはずだが、転げ落ちつつある人間と、緩やかでも昇り続けている人間の違いであろうか? 自分の生活をエンジョイ出来ている人間と、他人に縛られて抑圧を感じている人間の違いであろうか? 一時期は医師になったのが勝ち組だったのかもしれないが、今では随分と違ったものになってしまった。

30年前に僕ら夫々が行った高校卒業時の18歳の人生選択。15%が東大へ、35%が医学部へ・・・だが、それ以外の友達の方が幸せな人生を歩んでいるかにも感じられた。死ぬ時まで分からないだろうが、本当に何が幸せな選択であろうか? 

僕はマスコミと金融に進んだ前に座る二人に「俺は医師以外の人生も歩んでみたい。人生で一つしか職業が選べないとは悲しい」と気持を伝えたが、隣の医者から「そりゃ、既にバーンアウト症状だね」って茶化された。仲の良かったマスコミ君からは「20年やらなきゃ、いいポジションは難しいよ、諦めな・・」と予想通りの答えに妙に得心してしまった。

 

ある同窓生の「近況報告」に、我が校生の伝統が書かれていた・・・「生意気」 「希薄な愛校心」 「管理に対する嫌悪」  

なるほど。でもこれは、「権威を恐れず」 「閉鎖性を嫌い」 「自由な精神を尊ぶ」 の裏返しともいえる。これなら僕の人生の大切な基本姿勢であるので、僕のバックボーンは確かに中学高校の6年間で培われたに違いない。

 

なにはともあれ、30年ぶりの同窓会には出席してよかったと思う。後でもう少し同窓会のヨルに感じた事を徒然と書き残しておきたい。

 

読んでくれてどうもありがとう。