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Back To The Street ふろむ診療所

想い出が蘇る・・・②

長い歳月を経て昨日僕の目の前に再び現れてきた雑多なものの中に中学校の時の文集が数冊含まれていた・・・

中学時代の国語のT先生は(以前紹介した事がある)小説家でもあって、三年間ずっと僕ら全員の作文の中から15%程の作品を選んで和文タイプライターで活字にし製本化し、作品ごとに好評まで付けて年に数冊の文集を出してくれた。

辛口の批評に耐え選考されて文集に形になった時の喜びはそれは飛び上るほど嬉しかったものである。なにしろ今読み返しても僕の友人たちが中学生の時に著した作文は感心するモノばかりである。

僕も2年生の時に2回だけ選ばれ文集に載ったが、手元には1冊だけしか残っていない。理由は・・・川に投げ捨てたから。

 

手元に残る作文のタイトルは【高校野球で見たもの】というもので、甲子園球場で作新学園の怪物・江川卓投手と地元高校の熱戦を書いたもので、T先生にも「感情のこもった名文である」とのコメントを頂戴した。昨日の作文「ゲーテ」とは雲泥の差である、こっちは4歳も若かったのに。

捨ててしまった作文のタイトルは【恋する夏の日】という天地真理のヒット曲のタイトルと同じだったのは良く覚えている。中学2年の僕が別の中学のTチャンに恋した話を完全実話で書いてしまって、自分自身が恥ずかしさで耐えきれなくなって衝動的に川に捨てたものであって・・・今思えば実に惜しく、もし友人が保管していたら是非とも読み返してみたいと思っている。

 

まあ、そんな事はどうでもいい・・・

今日ここに書きたかったのは、この文集【清流(三)】の編集後記のT先生の言葉なのだ。実は忘れていたが、先生はこう書いている・・・

 

「夏休みは長い。作文のひとつぐらいどうにかなるだろう」・・・その安易さが、文章そのものを毒しているような気がします。どうにかなるはずのものが、結局は、どうにもならずに、締め切りが迫って、「書けばいいんでしょう、書けば」式の文章で逃げをうってしまう。だから、夏休み明けには読むに価しないくだらぬ作文が多い。  (中略)

文章を書く。---それは、単なる小手先の作業だけにとどまるものではありません。大きくいうならば、全生活・全人格が筆の先からほとばしるものであります。つまり、生活が充実していないことには、いい文章が書ける道理はないのです。だから、いい文章というものは、仕事などに忙殺されているときの方に多く生まれます。ふしだらに終始しがちな長い夏休みに、いい文章が生まれない理由がそこにあるのです。

 

うーん、なるほど・・・

それにしても、T先生が僕らのために割いてくれた時間や労力や注いでくれた熱意の凄さを今改めて感じ感謝している。僕自身は駄文をこうしてブログに量産して日々を過ごしているが、あの頃の作文訓練が無ければブログがこうして続くハズもなかったように思う。内容的には進歩が無く、中学2年生の時の友人たちの筆力にも劣るのだが、それは個性とか能力とか天分にもよるので仕方ない・・・

 

こうして思秋期ともいえる50歳になった今、思春期の頃の自分や友人たちの作文を読む事が出来て非常に嬉しい。あの頃の自分が甦る。各界で活躍している友人たちも読み返す機会があるのだろうか?

前も書いたが、こうして人気の出ない匿名ブログをシコシコと書き続けているのは将来の成長した子供たちや人生の終盤に差し掛かった僕自身が読み返す事も念頭にある訳で、少々恥かしくても出来るだけ本音で書きたいと思っている・・・

T先生、ご指導どうもありがとうございました。

 

読んでくれてどうもありがとう