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翻弄される沖縄・・・

5月末決着を待つ普天間を抱える沖縄基地問題は今後どう決着して行くのだろうか? ヘラヘラ薄ら笑いを今も続ける鳩山総理大臣という歴史的馬鹿者の言葉など普通の精神状態では国民の一人として既に信じることなど出来ないのだが、あえて期待すれば、5月31日は旧暦ではまだ4月18日なのであって、本当の5月末は旧暦では7月11日なのでまだまだ2か月も余裕がある・・・ただ、当日は仏滅なのであるが・・・

 

その沖縄県・・・ 「最低でも県外」という言葉の持つ意味はずっとそこに住まってきた人々にとって想像以上に大きいのではないか?と思うのである。

当ブログで何度も僕は沖縄に関する記事を書いてきた。先島・八重山諸島の話が多かったし遊びの記事が多かったので基地問題・領土問題を語る上で不謹慎かもしれないが、それでも深い関心がある。

数回にわたって「想い出が甦る」という記事を書いてきたが、その中学時代に一番仲の良かった友人が2名、まだ沖縄がアメリカ領の頃にパスポートを持って入学してきた。僕も何度か基地の周囲を散歩して回った記憶がある。そう、そこは第二次世界大戦後1972年5月までアメリカ領だった。

 

いま保守派?というか(僕を含め)中国の帝国主義覇権主義・領土拡大主義を恐れる日本国人が一様に売国変態・民主党の政策を恐れる理由は、沖縄県からアメリカ軍が撤退後の沖縄の中国編入を恐れる・・・という一点だと思うのだが、これはやはり非常に現実的なのだからしょうがない。

 

そもそも沖縄の帰属問題が非常にアヤフヤな歴史的経過をたどってきたのだから問題は実に根深く複雑なのであろう。この機会に僕の知る浅い知識をまとめておきたいが、多分専門家や沖縄県民からは「認識が浅く間違いも多い」と批判されるかもしれない。

 

現在は日本国沖縄県である島々は一時的にアメリカ領であった前も日本国領土とされてきたが、現在の形に一応落ち着いたのは日清戦争で日本が当時の大国・清国に奇跡的に?勝利したから時からの様だが、その前は「清国」が1663年以来「琉球国王」を冊封することで名目上の宗主国であり、同時に「薩摩藩」が実質的な支配権を有するという二重支配体制が長らくとられてきた。要するに琉球は200年以上も「薩摩藩の一部」であると同時に名目上「清国の領土」でもあったわけで、1920年代に清国を転覆し領土を引き継いだ中国が「琉球は中国の領土」を主張するのも一応全く理屈が無い訳ではない。

 

危ういのは江戸時代に薩摩藩が実質支配してきた「琉球」を、明治政府が「日本の領土とする」と定め1872年に琉球藩を置いたのちに1879年に沖縄県としたことだったが、当然ながら「清国」が強く抗議した。

介入したのはアメリカで、「宮古八重山先島諸島沖縄県から分離して清国領とする」とする調停案を出したが清国は認めていない。ちょうど北方領土の問題と似ているともいえる。この場合は日本が千島列島(4島)の領有を主張しているのだが・・・

 

ただ、漢族が支配する中華人民共和国と異民族である後金が支配していた清国とは全く別の国であって、「琉球」は清国の領土だった事は名目上あっても中華人民共和国の領土だった事は一度もないのだが・・・

 

本来ならば、沖縄県琉球国に戻り、アメリカや日本の軍事基地が無くなり、独自の文化・文明圏として成長発展して行くのが最良であろうが、「沖縄は自分の領土だ」と主張する中華思想を持つ軍事大国が隣接して虎視眈々と領有を目論んでいる限り、現在のパワーバランスを維持することこそ日本と沖縄、そして東アジアの利益に合致し平和にも寄与すると思うのだが、沖縄県の人々はどうお考えなのだろうか?

今の中国共産党支配が続く限り恐らく独立した琉球国として生きていくことは出来ないだろうし、「親アメリカの日本国沖縄県」であるのがいいのか「中華人民共和国琉球省」であるのが良いのか・・・ 日米安保という議論より遥か昔より琉球の帰属問題・独立問題は翻弄され続けているのであって、「沖縄に海兵隊が抑止力として必要か?」という議論を今からしたい人は、いま一度1655年当時に戻り、老中松平信綱が薩摩藩藩主島津光久に清国との琉球を巡る争いを避けた通達まで遡って考えるのか?と言いたいが、鳩山総理は当然ながらこの355年間の歴史を元に今もなお深い考えを巡らして腹案をまだ出さずにいるのだろうと・・・僕は思う。

 

さて、鳩山総理大臣の腹案とは一体何なのであろうか? 一部のいかれたブレイン?が九州ローテーション案とかいう愚策を総理に吹き込んでいるようだが、そんな基地外みたいな説は正気なら言わないでほしいと思う今日この頃である・・・

 

読んでくれてどうもありがとう