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Back To The Street ふろむ診療所

不審者、江戸を往く③

幕末の江戸に生きた南方仁先生を想い浮かべながら僕のこれまでの人生とは全く無縁だった東京大学本郷キャンパスを赤門を潜って出た・・・ ただ、有名な赤門から入らず、鉄門から入ったのは全くの偶然であって、ホントに鉄門という門があるとは知らなかった田舎医者であります。

しかし、もう既に16時を過ぎていて、羽田の20時発まで残り4時間もない。まだ予定の半分も達成していない。愛する妻子からは「東京のお土産」をねだられていたが、「そんな時間はなかった・・」と誤魔化そうとこのあたりで決めたのを告白する。

さて、赤門を出ると、南方仁先生の引力は僕を左へ左へ・・・南へ南へと引き寄せてくる。残暑厳しき折、革底の靴で上京した田舎医者は足も痛くなり、パソコンの入った鞄で腕も千切れんばかりであった。シャツは汗でビショビショ、寝不足には堪える江戸巡りであった。 

 

で、当然ながら、向かうは南方仁先生が脳外科医をしていたらしいお茶ノ水駅の向かい側の大学病院、【仁友堂】ならぬ順天堂医院だった。

ここは前の②で書いたが、有名な松本良順の実父である佐藤泰然が佐倉藩に移した塾に1843年に「順天堂」の名を付けたらしい。その前身は江戸薬研堀に1838年に「和田塾」と言う名で西洋医学塾を開いたのだそうだ。明治が始まる30年前だから恐れ入る。

ペリーの浦賀来航は1853年だが、実は西洋近代医学が日本で最初に拡がりだしたのは、1857年のポンぺに先立つこと34年、シーボルト 1823年の来日だったろう。1824年にシーボルトは長崎・出島の外に鳴滝塾という医学塾を開いている。そして、全国から医学生が集ったという。初めて誰もが自由に西洋医学を学ぶ場が出来たのである。なかなかにロマンティックな話ではないだろうか? そんな時代に学んでみたかった・・・

 

話を平成23年に戻すが、そこ順天堂医院にはなんと、ドラマ【仁】の巨大なポスターがあちこちに貼られていて、「仁は順天堂の脳外科医がモデルです」と書かれていた。僕以上にミーハーな大学だと思ったが、僕の様なミーハーがロケ地巡りに来るのは判り切ってるはずなので、どうせなら「仁・ロケ場所マップ」でも張り出してくれていたら、患者思いで良かったのに・・と感じた。「ミーハー病」の患者ですが・・・

   

それが無かったので、また前準備無しの突撃訪問だったので、どこの階段から南方先生が転落したのか?とか、ミキさんとどこの屋上で愛をささやいたのか?とか、【不審者】の様に病院内をウロウロしたが、流石に病院の人に聞くのも恥ずかしく、結局判らないままに帰ってきてしまった。後で調べたら「2号館」の屋上と階段だったらしい。おまけに近々建て替わるとか・・・ ちょっと残念だなぁ。

 

とにかく、屋上から神田川越しの風景が見たかったが、順天堂医院の最上階には展望レストランもなく、隣の東京医科歯科大学には聳え立つビルが見え、そこの最上階にはレストランが有るのでは?と、性懲りもなく東京医科歯科大学に忍び込んだ。

ただ、上の写真の場所、崖の淵・・・と言うのは現在の順天堂の場所とは違いますよね。神田川の対岸も同じ標高ですし、知ってるのに騙されてる僕がいます・・・

 

ここ東京医科歯科大学は昭和時代に誕生した比較的歴史の浅い江戸とは無縁の医学校だが、今や東大と並ぶハイレベルな研修医にも超人気の大学病院であり、研修も厳しいのか東大病院や順天堂より日曜日の病院内に医師が多く歩いていて(働いていて)、なかなかに好印象だった。

そして東大同様に学力的には全く無縁の僕はやはり【不審者】の様にウロウロと病棟各階のナースステーション付近を覗いた後に念願の16階展望レストランに向かった・・・ 確かに有るにはあったが・・・

 

ガァァァン・・・ 17時を目前にして、既にレストランは閉ってしまっていた。遥々と飛行機に乗って南方仁先生の所縁の地を訪ねてきたのに このショックは大きく、気絶して窓から転落して御茶ノ水駅前の神田川に落ちて江戸にタイムスリップするところだった。ただ、窓は神田川とは逆向きの様だったが・・・ まあいいか。

 

ということで、既に17時を過ぎ・・・ どうしようかなぁ?と思いつつ妻に「お土産なにがいい?」と電話したら、優しい妻は、「お土産なんていらないから、せっかく東京に行ったんだから鮨でもつまんできたら? 間に合うでしょ?」という。最近の僕は「江戸前鮨」に興味が出始めていて、本場の江戸前の名店に行くのは確かに興味があったので妻の言葉に甘えることにした。

ただ、どこに行こうか? 東京の「江戸前鮨」のデビュー戦を前に財布の中身を確かめた・・・

 

不審者の旅は④へ続く・・・