Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

40年ぶりの再会

先日、「かっチャン」宅を初めて訪問した・・・

会うのは僕が12歳の時以来であるから、既に40年もの時が経過している。しかし、それでも、会うや一目でかつての「かっチャン」の面影を感じ、当時一緒に過ごした日々を一気に想い出した。当時の「かっチャン」は子供の目にも小さく感じたのだが、元気で明るく笑顔の小さな「かっチャン」は今もすごく元気であった。

彼女は僕が3歳の時から約8年間、僕の家に住み込みで働いてくれていた女性だ。といっても、家事を助ける家政婦さんではない。当時まだ中学を卒業したばかりで、本来の仕事も馴れず、母から「仕事にまだ慣れていないだろうし、時間があれば時々この子供達の子守りをしててちょうだい」と言われ、幼い僕と遊び出したのが始まりだった。ずっと両親は仕事で忙しく、朝から晩まで子供と遊べる様な時間的余裕はなく、3歳の僕と生まれたばかりの妹の子守り役が出来て尚更仕事に精出していた様子だ。だからこそ、我が家は田舎にしては裕福ともとれる生活が出来ていたし、多くの納税も可能だったようだ。

 

予想はしていたが、感情豊かな「かっチャン」は会いに行った僕を前に玄関先で泣きだして、何度も何度も頭を下げて「ありがとうございます。お世話になり増した・・」を繰り返した。ただ、ホントに有難いのは僕の方で、忙しく働く両親に代わって、15歳から23歳までを僕と多くの時間を過ごしてくれてたのだから。他にも数名の住み込み女性が居た中でも最も想いで深い女性従業員である。僕の方も涙がこぼれそうになり、数秒言葉が出なかった。もう少しで二人して玄関で泣くところだった・・・

 

「かっチャン」を訪問したのは、彼女の夫が数ヶ月前にまだ若くして病死され、両親のもとに「年賀状を出さぬ旨」の葉書が届いていたので、両親の代わりに御仏前にお参りするためだった。両親は自分で行くことも出来たが、どうも僕を行かせたがっていることを非常に感じたので、仕事を終えて遅くに一人で訪ねたのである。「お前が今こうしているのは、色んな人の世話を受けて育ったからだぞ、よく覚えておけ・・」と言いたかったのだろう・・・

少し前はまだ家が少なかったその地域は、今は大都会の一部にしっかり溶け込んでいたし、頑張り屋の夫婦が必死に身を粉にして働いて得たお金で建てた質素な家があった。彼女の家を知るので、それでも僕はとっても嬉しかったし、その家を前に「頑張ったんだなあ」と40年間の月日の流れを理解した。

「かっチャン」の生まれ育った地域は南の島の山奥にヒッソリと集落が寄り添うように建つ超過疎地だったし、高校に通うには親元から離れる必要があった。かつてそのような地域の中学卒業生や若者達の就職をあっせんしてくれる世話役の人がいて、100年ほど続いた我が家の家業にとっても大切な労働力を供給してくれていた。良くいわれる集団就職というほどではないが、僅かな給与を得るために山村のまだ幼い顔をした若者たちが同時に4-5名ほど働いてくれていた。その多くは結婚すると同時に更に良い条件の就職口を探して、あるいは独立するために旅立って行ったのだが、「かっチャン」は両親の仲人で良き夫に嫁ぎ都会へ出て行った。まだ右も左も分からない頃に仕事も生活も結婚までも世話してくれたと両親に随分と感謝しているようだ。

亡くなったご主人の仏壇に手を合わせ、彼女と向き合って座ると、彼女はまず僕に自分の結婚式の写真を見せ、「これをどうしても見せたかった」と言う。そこには彼女夫婦と僕の両親の結婚式の姿が写っていた。僕は以前同じ写真を両親のアルバム内に見つけ知っていたのではあるが・・・

 

その後、30年ほど更に我が家の家業は満足できるほどに繁盛していたのだが、かつて書いた様に貿易自由化の波で業界全体が壊滅してしまった。ちょうど、TPP問題で今後起こる様なことである。安価な労働力を持つ中国に生産技術の移転をしたために逆輸入製品が超安価で関税撤廃後の日本の業界は完璧に負け二度と復活できず、我が社も整理廃業してしまった。約10年前のことだ。そんな業界と我が家の浮き沈みを良く知るだけに、一番良い時代に育てられたことに彼女は感謝しきれない様子だ。

彼女の故郷の山村は今では「嫁の来ない僻地の村」として消失していくことを待つかのような寂れ方らしい。TPP参加すれば彼女の様な境遇の若者達が沢山出てしまうのであろう。農村も山村も寂びれ、日本の地方の崩壊が待つばかりだと思う。経団連の思惑はなにも日本人の雇用創出にこだわってはいない。より安い労働力を求め、または受入れて株価などの企業価値を高め、数少ない日本人経営陣に利益が集まることこそ全てと考える人々なのだから・・・

 

ひとしきり昔の事や今の事の話をし、お暇する際に「良く頑張って幸せそうな家庭を築いたのだなぁ」と一人感じ嬉しくなったのである。

だからこそ、まだまだ若い60代で亡くなったご主人とこれからの老後の楽しい時を過ごしたかったのだろう。入院の前日まで仕事仕事で可哀そうだった・・と嘆いておられたのが印象的だった。

人には夫々の人生がある。地方には地方の、僻地には僻地の、東京には東京の、・・・  この度のTPP参加によって恩恵を一時的にせよ東京の人々は得るだろう。なかなか地方や僻地に自分の意思ではなく生まれてしまった人々の生活も少しは想像しながらTPPの議論も行って欲しかったが、政治家の生活のベースは東京であるだけに僕らの様に地方で心配する庶民の気持ちは判らないのかもしれない。

 

読んでくれてどうもありがとう