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Back To The Street ふろむ診療所

学会より ラーメン屋(2)

思い起こせば、今年6月19日の横浜市で行われた透析学会の総会でも、映画とか オペラとか 元春とか 学会に行ったのか遊びに行ったのか全く判らない?行動をしてしまうフトドキな開業医なのであるが、そうでもしないと休みもなく納税以外の楽しみもなくツマンナイ大人として過ごす事になりかねない。

したがって、今現在の僕のモットーは・・・

人の2倍食べて、人の3倍働いて、人の4倍美女を抱いて、人の5倍映画を見て、人の6倍読書して、人の7倍妄想して、人の8倍夢を語り、人の9倍納税して、・・・

人並みに勉強して、人並みに健康で、人並みに家族を愛し、人並みに旅行に憧れ、人並みに犬と戯れ、人並みに涙し、人並みに長生きし・・・

 

まあ、そんなちっぽけな希望しか持てないツマンナイ50男になり果てました。今から30年くらい前はまだまだ夢も希望も今より100倍抱いていましたが・・・

 

さて、肥前の国、佐賀市で行われた透析学会・地方会の会長・閉会挨拶を聞き、真っ直ぐに帰宅するのも折角高速飛ばして佐賀市まで来たのでもったいなく思い、昼休みの中華そば「三九」に引き続き、メタボ対策は明日から・・・と改心して、その夢に溢れた若かりし頃に何度か足を運んだ「一休軒・鍋島店」に向かった・・・

 

日曜午後の4時前くらいの時間帯だったが、狭い店内は10人程の客で予想外の忙しさにビックリしてしまった。後日ネットで調べたら、現在の佐賀市の一番人気は「いちげん」という名前の店で、その主人が修行をしたのが「一休軒・鍋島店」で、その主人が修行をしたのが「一休軒・本店」で、佐賀市の中心部にある・・・ハズであったが、残念なことに今年の8月、昭和30年以来続いた人気店も閉店してしまったという。

 

ここは前の記事の「三九」の従業員が昭和31年頃に創業者に白濁・豚骨久留米風ラーメンの技術指導をしたとことネットには書いてあったが、独自の味で人気店だった。

 

しかし、突然の閉店は二代目店主の体調不良が原因とか・・・何度も通っただけに残念に思う。車で店の前を通り、「あるべき場所にあるべき店がない」ということは非常に寂しいものである。

 

 

さて、僕が溢れんばかりの夢を抱いていた頃に、田舎町佐賀市の更に田舎の田んぼの中に「一休軒・鍋島店」は誕生した。今も佐賀市で3本の指にはいるという「本店」をしのぐ人気店の様だ・・・そうだ。開店当時に何度も行ったことがあるが、独立したのか、あるいは支店を任されたのか知らなかったが、「本店」の中でも一番真面目そうでしっかり者だった主人の夢にあふれた若かりし頃の姿が目に浮かんでくる。

 

車を走らせたら・・・佐賀の田んぼの中にも最近は家が沢山建っていて、何度も道を間違って・・・、ようやく携帯のネット機能で地図を呼び出して検索して判った。時代は変わって便利になったものだ。しかし、店の前に来たら・・・時代は何にも変わって無くて・・・相変わらずの、人気の無さそーな店構え、しかし先述のように今も変わらぬ人気を保っているようだ。何故だろう・・・

 

店内に入ると・・・ あぁ、この人だ・・・ という実に誠実そうな面構えの男性が昔のマンマで粛々とラーメンを作っていた。さすがに30年近い年月で御主人の髪は白くなり、オールバックに変えられ、いくぶん細身になられていた様だ。誰かと違って贅肉は一切なく、淡々と粛々と、ぶつ切りの豚骨が顔を出す窯を前に、「ラーメン一筋・・・」という雰囲気が強烈に漂っていた。元気そうですね、ご主人さん・・・ 

「約30年振りに食べに来ましたよ・・」と、なんども心の中で語りかけましたが、あんまりお客さんが多いので、残念ながらその想いをご主人に口に出して伝えることは出来ませんでした。多分、4時前なのでヒマそうにしてると思って出かけたのに・・・

 

相変わらず「一休軒・鍋島店」のご主人のつくるラーメンは美味しかったです。高速道路のインターに向かう途中の幹線道路沿いに何件も今風のラーメン屋さんがありましたが、「昔ながらの味」もまた格別です。特に、ご主人が開業された当時の様子を知るだけに・・・感慨深い想いでラーメンを有難く頂きました。

 

なにごとも永く続けることは非常に大変です。診療所も続けて人気を保ち、技量も保ち、健康も人間性も保って地域住民に愛され続けることは大変難しいことですが、ぜひそんな医療機関としてこの先も自分なりに頑張って続けて行きたいと思わせてくれる実に有意義な【肥前・佐賀、ラーメンの旅】だったと思います。

これで、「透析学会」参加記を終了します。

 

読んでくれえてどうもありがとう