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奈良の旅(3) 山の辺の道

【春日若宮おん祭】で、12月17日23時50分に【還幸の儀】を観終わった後、しばらく深夜の春日大社境内を彷徨って、真っ暗な奈良公園の中の長い長い参道を三条通りを目指して安ホテルへと戻った。

前夜は3時間程しか眠れず、土曜の午後もキッチリ診療して出かけてきただけに、深夜のご帰還は中年メタボ開業医の運動不足の身体には寒さ以上にコタエタが、翌18日は久々に約6時間も眠れて、爽やかな気分でJR奈良駅から驚きのワンマン電車で天理市へと向かった。

正直に言うと、教科書に出てくるような歴史にそれほど興味もなく、精通どころか人並み以下の知識しかないのであるが、なんとなく最近は「古代奈良」がマイブームである。京都よりも静かな奈良・・・、謎や不思議さが満載の奈良は知れば知るほど面白い。ただ当地からは距離的に行きにくいのが難点だ。僕には土曜の夕方から日曜深夜までが精一杯の自由時間だから。もちろん、天皇誕生日の今日23日も、一日中夜まで本業のお仕事中である。

 

無計画旅行が僕の身上であるだけに、天気はよく調べるが、いつも予習は少ししかしていかない。専ら帰宅後にネットで復習をするだけだ。だから今回の【山の辺の道】も、色々後から調べたのだが、続々と謎や不思議や嘘か真か判らないような歴史物語が判ってきて、そのあまりの多さと真偽不明の点から今日の記事では知ったかぶりは出来るだけ避けて、ボンヤリとテクテク一人で歩いた「天理市石上神宮から 桜井市三輪山大神神社)、そして箸墓古墳までの長閑なハイキング」を書き残したい。様々な歴史的興味は各自お調べになって頂きたい、書かないので・・・ 膨大すぎて書けないのであるが。

 

信仰の街、天理市街地には見向きもせず、タクシーで日本最古の神社(神宮)らしい石上神宮へ向かった。乗り込んですぐ、イワノカミ神宮へ・・と言ったものだから簡単に他所者とばれてしまったようだ。実はイソノカミ神宮と読むらしい。イシノウエ神宮と間違えない様にと何度か唱えてタクシーに乗ったのに情けない。しかし、お陰でタクシーの運転手から「今から山の辺を歩くの?」と聞かれ、おおよその時間や登れないと思っていた三輪山への登山方法を教えてもらった。やったぁ、あの三輪山に登るぞ・・と、ウキウキしながら山の辺の道を歩むことになった。

 

石上神宮へ着くと、長鳴き鶏の出迎えを受けた。伊勢神宮より古いらしい神宮の境内には何羽もの鶏が放し飼いされていて美しい声を聞かせてくれる。いつ頃から居るのであろうか? 境内に柿本人麻呂の歌碑が2カ所あったが、その頃から居たのだろうか? まさかねェ・・

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未通女等が 袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき吾は(万葉集)  *石上布留の社の瑞垣が長い間あるように、私はあなたを久しい間思っていた。

 

ということで、国宝が幾つもある物部氏縁の神宮から「山の辺の道」をスタートした。スグに普通の舗装された田舎道に出てしまったが、数分のうちに松尾芭蕉がまだ宗房と名乗っていた頃の句碑に出くわした。今は廃された内山永久寺のそこは境内の一部だった。今は畑と池だけだったが・・・

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うち山や とざましらずの 花ざかり (大和巡礼)   *今、内山永久寺に参拝してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもない。

・・・と、そこでイニシエの大和に想いを寄せていたら、けたたましく僕の携帯電話が鳴った。「@@の娘ですけど、40度近い熱があります。今から診てもらえますか?」とのことだった。彼女には僕が山の辺の道で芭蕉や人麻呂と旅していることなど知るよしもなかったであろう。便利なのか、不便なのか・・・昔の人は携帯電話をどう思うのであろうか?

一応、親身に相談に乗って救急病院の名を挙げ急いで受診していただいた。翌日知ったが、肺炎だったらしく、即入院で、ご家族に感謝された。治すのは別の医者なのだが・・・

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鄙びた夜都伎神社にお参りし、左手に低い山並みを眺めながら歩いた。少しずつ古墳が道の両側に見えだした。

 

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奈良盆地は古代大きな湖だったようで、その山裾の湖岸の道が山の辺の道として、幸いにも開発を免れて古墳も遺跡も細く曲がりくねったイニシエの道も残ったのではあるが、この辺りは果物畑で生計をたてる家が多いらしく、ある小振りな古墳は全体がミカン山になっていた。長閑と言えば長閑だが、祟りなどないのであろうか?

 

時間の関係でいくつかの環濠集落や大和神社を素通りし、真言宗の長岳寺も入山料が必要だったので遠慮した。他の人も遠慮していたので、崇神天皇陵横の蕎麦屋さんで早めの昼食をいただいた。ここで距離的には約半分だ・・・

この第10代崇神天皇神武天皇と並び「最初の天皇」と称されているらしいが、そう言えば一番美しく整備されていた様だ。一説によると、ヒミコの後に女王となった台与が東征したのと関係があるらしい。また、その前後で皇統が途絶えてるとか・・・あんまり秘密に関わるのはよそう。

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まあ、寒空に暖かいネギ蕎麦は美味しかったが、その崇神天皇陵からちょっと外れた場所に黒塚古墳があった。ここは「鹿男あをによし」で綾瀬はるかチャンが登場した場所だったので、絶対に行くぞ・・と心に決めていた。まあ、静かな場所だった。あんな風に埋まっていたのかと初めて知った。しっかりドラマ・ポスターが今も貼ってあった。綾瀬チャンのポスターがあればもっと良かったのに・・・ 係りのオジサンも超ヒマそうだった。

この辺りはホントに古墳ばっかりだ・・・ アッチも古墳、コッチも古墳、ホントは天皇陵すら誰のものか判らないらしく、判った方がいいのかどうか・・・そこが問題なのだろう。

 

そんなこんなで、大きな景行天皇陵の横を抜け、「纏向遺跡の範囲」に入った途端、素晴らしい景色が眼に飛び込んできた・・・遠くに鮮やかにクッキリと姿を見せたのは畝傍山と耳成山だった。天香具山はなだらか過ぎて判然としなかったが、それら大和三山は実に美しかった。樫原や明日香あたりから観る以上に感じるものが僕にはあった。古代の人にはどう映ったのだろう?

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巻向の山道とよみて行く水の みなあわの如し 世の人われは(万葉集)   *巻向の山辺をどうどうと音を立てて流れ行く川の水泡の様なものだ。この世のひとであるわれらは 

三輪山と巻向山の間を流れる巻向川を渡る前の柿本人麻呂の歌は、最近患者を多くなくしている開業医としての今の僕の心境に近く、その想いを抱きながら川を渡って三輪山の裾をゆっくりと歩いた。

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三輪山をご神体とする大神神社摂社の一つである檜原神社は伊勢神宮天照大神が遷坐されるまで祀られていた「元伊勢」とも呼ばれる神社らしいが、そこから正面に見える二上山の山頂に悲劇の大津皇子の墓があるとは・・・印象的な景色だった。美しい山容である。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-mokuzi.htm 

この辺りは数々の謎や不思議の多い場所らしく、多くの歴史研究家がHPや著作でなぞ解きに挑戦していて実に面白い・・・少々不謹慎ではあるのだが。上記HPは元数学教師の大和研究らしい。面白い・・・

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もうスグ、午後2時・・・三輪山への登山口は摂社の一つ、狭井神社と天理駅からのタクシー運転手に聞いていた。寄り道はホドホドに早く行って神の山に登ろう・・・と、目指す狭井神社到着・・・2時5分だった。沢山の人々が思い思いのリラックスした格好で下山してきている。あの小さな鳥居の先が神の領域なのだろう。

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http://www.youtube.com/watch?v=uKMogbBv4dQ 

後で調べたら・・・あの先はやはり一切の撮影禁止の聖地なのだそうだ。パワースポット中のパワースポットなのだろうか? しかし・・・・、非常に残念なことに登山は2時まで厳守だった。どっかで寄り道したのが拙かった・・・次回のお楽しみに取っておくこととした。

しょうがないので、「神の水」を100円で買って家にお土産に持ち帰ったが、家族からは「オカルトにハマりそうで怖い、パパ・・・ 大丈夫ですか? 元科学者じゃなかったの?」と呆れられたので自分で飲みほした。体調は・・・変わらない。

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ただ、ここと大神神社の間に「薬の神様」があったので深々と頭を下げて「来年も当院が潰れませんように・・・」と祈ってきたので大丈夫だろう。診療報酬が下がらないニュースを後で知った・・・これも御利益か???

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そして、とうとう三輪山をご神体とする三輪明神の中心、大神神社に参拝をした。せかっく遠方から来たので、拝殿に登って御祈祷をしてきた。神楽まで舞っていただき、有意義な時間を気持ちよく過ごせた。三輪山は登らなくても感じるだけでもいいと思う。

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そして、名残惜しげにトボトボと一ノ鳥居まで下って鳥居越しに三輪山を見上げると、それはそれは美しいお姿だった・・・

せっかくここまで来たので、三輪そうめんは諦めるものの、電車の時間が心配だったのだが、ヒミコとの関連を噂される古墳時代前期最大の箸墓古墳の横を通って巻向駅へと歩いた。(ただ、僕自身は邪馬台国は九州筑後説である) 途中、奈良行きの電車が見えて不安がよぎったが、確かに駅で40分以上待つはめになった。この箸墓も相当にいわくつきの謎多き古墳らしいが、横を歩いても、この寒い季節の夕方にやってくるモノ好きとは全く出会わなかった・・・

 

こうして、一日かけて【山の辺の道】を歩き、無人駅のホームで寂しく電車を待ちながら、ヤマト王権の時代や飛鳥時代、そして邪馬台国の謎などを思い返した。

しかし、絶対に邪馬台国がこんな場所にあるはずが無い・・・大陸や半島からあまりにも遠すぎる。やはり、ヒミコが死す248年までのオリジナル邪馬台国は九州筑後にあって、ヒミコの死後に女王となった台与が東征して大和王権の成立に深くかかわった・・・と信じる。

 

そして僕は、夕暮れの巻向駅から各駅ワンマン電車に揺られ、昔の人々の【東征】を巻き戻すかのように・・・飛ぶように西に向かって、光輝く現代の街に数時間で戻ってきた・・・・ 

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また、いつか旅したい場所だ、奈良・大和路は・・・

 

これで、奈良の旅の記事は終わります。読んでくれてどうもありがとう