Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

最後はハグで・・

何事にも終りが突然の様に訪れるもので、それは人生の避けられない句読点の様なものかもしれない。ちょっと息継ぎでもして冷静に過ぎた日々を振り返る、懐かしい想い出を楽しむ、そんな静かなひと時を過ごせということなのかもしれない。

彼女から思いがけない閉店を報せる葉書が届いてからしばらくがたち、その理由を訊くのが何となく怖くて今日まで彼女のお店を訪れる足が遠のいてしまっていた。でも今週末でホントに最後の閉店の時を迎えるので、今宵こそはと用事を済ませた後で携帯電話に連絡を入れたのだった。

「あいにく満席なの。ここ数週、毎晩皆さんに来て頂いて、ずっと満席なのよ。いつお会いできるかと思ってたのだけど、ホントに一席も今夜は空いてないの。空いたら連絡いれるわ」

彼女の声は想いのほか明るかったので安心した。実は様々な困難に耐えられずに女手一つで賄っていたお店を閉じるのではないかと心配していたのだが、何となく違うようで、思い切って訊いてみた・・・ 「良い話なの? それとも悪い話なの?」

「まあ良い話の方かな。別に悪い話じゃないわ。病気とか、借金で困ってとかいう話じゃないの。色々あり母と二人で東京に暮らす事になって・・・」

その答えにひとまず安心したのだが、彼女とはもう10年以上の付き合い、といってもレストランの店主と客の関係なのだが、電話でお別れするつもりはなく、「今から顔だけでも見に行くよ、別に座れなくてもいいし・・・」 そう言って電話を切ってお店の前に立ち中を覗くと、良い歳をしたオジさん連中が我らがマドンナである彼女の手料理を楽しみながら最後の時間を思い思いに過ごしていた様子・・・ これならむしろお店の外でお別れした方がいいと思い、窓越しに彼女に合図してみた。

大忙しだとは判ったが、少しして玄関の外に出てきてくれた。

確かに暗い表情ではなく、スッキリといつも以上の美しい笑顔で安心した。僅かな時間しかない中で事情を少しだけ聞き、安心の気持ちを伝え、ポケットに忍ばせていた餞別を手渡した。決して多くはないが、店を畳んで新生活を始めるにはそれなりの負担もあろうし、10年以上に渡って僕らの家族に少なからず喜びを運んでくれた彼女へのお礼の気持ちを表したかった。娘たちのお気に入りのお店、料理人が彼女だった。

妻には内緒の感謝の気持ち・・・

男には秘密があるものだ。彼女は妻が知らない秘密の幾つかを知っているし、これからも良き友達でいたいと思う。

「どうもありがとうございました」と涙ぐんで言う彼女を僕はそのままハグしたが、こちらも思わず泣きそうになったのを気づかれただろうか? 

「また佐野さんのコンサートに一緒にいこうね」 そう囁いたのが耳に届いただろうか?

 

お店の中に戻り最後の時を楽しむ常連さん達の前で再び笑顔を振りまきながら忙しそうに料理を提供する彼女の姿を車の窓から眺めたが、ちょうど満席で良かったと思った。ちょっとあの中では恥ずかしくてハグしてお別れなど出来なかったはずだから・・・

お元気で・・・ またいつかどこかでデートしよう・・・