Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

変わった? 変わらない?

先日の映画の後、僕は一人で街中を歩いていた。凄く人通りの多い歩道をうつむき加減で携帯で先ほど映画館を出てすぐに別れた妻へメールを打ち込みながら歩いていると、すぐ後ろから「アレはM君じゃない?」と、僕とたった今すれ違ったのであろう誰かが傍の誰かに小声で囁くのが聞こえた。

僕の名前はわりと珍しいので別の人を指してるとは思えず、なんとなく聞いたような懐かしい声に足を止めて振り返った。

わずか2mほど後ろにこちらをすれ違いざまに振り返っていたのは確かに見覚えのある懐かしい顔、懐かしい声だった。もう15年以上お会いしていなかった留学先で非常にお世話になった先生で、隣の奥さんの手料理にどれだけ救われたか、一気にアメリカ生活の思い出が蘇ってきた。留学初日、初めての国の空港へ初対面の僕を迎えに来て、アパートが決まるまで居候させてくれ、留学先の大学への案内役も生活指南もすべてお世話になった恩人だった。昔のように暖かな笑顔だった。

しかし・・・・

大都会の人ごみの中で、何の予告もなく15年以上会ったこともない僕のうつむいて歩く姿から何故それが僕に違いないと思えるのだろうか?と不思議でならないのだ。「どうしてわかったの?」と聞くも、「そりゃ分るよ」としか答えは返ってこない。「そりゃ分るさ・・・」

まだ30代前半だった留学時代と、今の50台前半・・・早20年の時が流れ、髪は凄く白髪で、体型も・・・ 

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イヤ、確かに体型は留学当時のそれに戻ってはいたのだ。もし去年の今頃にすれ違っていたならば、18キロ近く増えすぎた肥満体系のM君など想像さえできなかったのではなかろうか?と思う。それとも、肥満の姿でも僕の個性を彼は見破って「M君じゃない?」と口にしたのであろうか?

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ほぼ2年間、同じアパートに暮し、別の研究室ながら同じ大学で留学生活を過ごした人々であれば、20年近い時を経てうつむいて歩く人が誰かすぐにわかるというのであろうか?

確かに・・・・

卒業して30年近くなる大学の同級生たちと同窓会で再会すれば、問わず語らず誰かを一瞬にして思い出すことも確かにある。でもシバラク話をしながらも誰だか全く思い出せないことも確かにあるのだ。

最近、同級生たちのグループメールに参加していて、時折写真がアップされていることがあって、そういえば昔好きだった子の写真だったりすると、そのわずかな断片であろうがピンとくるもんだなぁ・・と妙に楽しくなることを経験していたのも確かだ。

あれから・・・

あれから20年・・・  あれから30年・・・ それぞれに歩んだ道は違い、経験した暮らしも異なり、趣味も、悩みも、喜びも、何もかもが大きく違って今に至っているのだろうけど、一瞬にして蘇る当時の思い出は間違いなく共有していることは間違いないだろうし、その意味で、同級生やクラブの仲間や好きだった人々というのは決して「他人」ではないのだ・・・と強く感じた日曜日になった。

その夜、一緒に行った焼き鳥屋さんで、妻と子供たちに、「今日パパは17年ぶりくらいに友人に会ったんだよ・・。お前たちも赤ちゃんの時に会ったことがあるんだよ・・」と笑顔で語った。

一期一会、出会いは大切だ・・・

それば、実際に顔も名前も知らないブログの彼方と此方でも一緒のことだろうと感じている。

読んでくれてどうもありがとう