Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

変る風景

ヘアピンの記事より遡るけど、前日の土曜日の午後はソワソワと朝の診療時間をいつもより15分も早めて90km程のサイクリングに出かけた。ずっと大昔は別にして、ここは自転車で行くのは最近では2度目である。

 

普通なら通れる道路が今もなお工事中で通れない様子で、廻り道をしてこの山間の村に入るのだという。昔から何度か蛍を愛でに車で来た事があったが、途中の道路もまだまだ数か所の交互通行で工事中だった。昨年7月の集中豪雨による被害で一時期は村全体が孤立していた時期もあるというが、いまはもうそこまでは無さそう。今年の春頃に走った時よりも随分と工事区間は減ったようだ。今年の夏の雨が少なくなりよりと言えばなによりだった・・・かもしれない。

しかし、復興とはなんだろう? と僕は正直いつも感じている。

古い時代から大きな自然災害の後で人類はその文化・文明を捨てて新天地を求めて移動して生き延びてきた。復興のための苦労と経費、たとえ貨幣価値の概念が無かったかもしれない時代においても、苦労と復興は天秤にかけられて「移動」の道が選択されてきたのが人類の歴史だというのが僕の歴史認識である。

そういう意味で、巨大な首都直下型地震が100年周期で襲うことが宿命づけられている東京への一極集中とインフラ整備などは「国家としてのリスク管理」に重大な問題があると僕は思うし、首都機能移転や遷都が考慮されるべきと前から何度も繰り返し申し上げてきた。

不謹慎な言い方で気が重いが、津波被害の想定される場所に原発建設が認められない様に、大規模な生活の営みも認められない・・・それが、自然が人類に突きつけている掟なのではないかと思う。

復興の名のもとに生活再建、インフラ再整備が行われる事を否定はしないし、困難に直面している人々の生活支援は最大限に考慮すべきであろうと思う。ただ、それが土木や建設の部門に偏り過ぎていては次の大震災、次の大津波でまたしても同じことが起きよう。想定される東南海大地震関東大震災を思うに、日本には全ての大震災からの復興を成し遂げる余裕など無いと思う。

復興には智慧が必要だ・・・

復興には哲学も必要だ・・・

自然との調和を計ることも必要だ・・・

太古の歴史からの教訓を学ぶことも必要だ・・・

そうして、今出来る範囲で「移動をとるか、再建をとるか・・・」などという議論を臆することなく冷静に行って、「公共投資が経済を回すに必要だから・・・」といった安易な方針を再考すべき時代なのだと思う。

近くの堤防、ここも昨年大きな被害をもたらした場所の近くだが、実に殺風景な堤防に成り果てた。17世紀初頭に建設された堤防と堰・・・21世紀になって自然が消えてなくなろうとしている。

ちょっと悲しい風景である。

読んでくれてどうもありがとう