Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

感謝され 恐縮です

今日は久しぶりに患者さんのお話をしてみたい。深夜12時を回った頃の電話連絡に始まり、色々あった一日だったのだが、何となく書き残しておきたい気分になった患者さんが2人おみえになった。

お一人は、88歳女性の新患(A)さん・・・

もう一人は、数カ月間ぶり来院の99歳女性患者(B)さん・・・

 

ちょうど忙しかった外来が一段落してヒマになった頃、その88歳の女性はお嫁さんに連れられて初めて当院へ来院された。お嫁さんが記入されたであろう初診時問診票には癌の既往歴や糖尿病の病歴や数ヶ月前の骨折の入院歴や難聴やら過去の通院歴が盛り沢山書かれていた。もし多忙な時刻に初診来院されたら一番引いてしまう感じの内容だったのだが、ちょうど直前でヒマになった時刻だったし、なによりも僕の気分が良かったことが幸運だったかもしれない。気分が良かった理由が次に書くBさんの件があったからだった。

近くの診療所やら病院に以前通院されていたAさんは最近はどこにも定期通院されていなかったらしい。おそらくは、骨折入院があったからだろうが、介護サービスのみで医療面がおろそかだった様子だ。

幸い、今日の診断は「感冒」・・・、ようするに普通の風邪としか思えなかったが、出来るだけ・・・といっても、当院では普通の診察をしただけなのだが、ものすごく感謝されてしまったのである。大きな補聴器を首から下げて医者の言葉を一言も聴き逃さないという気迫の様なものを感じながら診察していたのだが、案の定、とっても「医者の言葉、説明、診察態度」が気になっていたらしい。別に変な意味ではなく、いくら高齢で老化著しいといえども身体のこととなるとだれしもが不安なのは間違いないことで、それが自然に表情に表れていた感じだったようだ。

患者本人と付き添い家族と両方に耳を傾け眼を向けながら診察したことが患者の琴線に触れたのだろう・・・、「こんなに判り易く、こんなに詳しく、こんなに親切に説明してくれるなんて・・・、ここはイイとこですねぇ  有難いですねぇ」と、診察室を出て受付の前に行っても気持ちを言葉にされていた。まあ、そこまで普通の年齢の患者さんが言うと少々イヤミに聞こえることもあるが、今日は素直に僕の耳に届いたから書き残したくなった・・・ 別に大した診療はしていないのだが、言われると嬉しくもあり、恥ずかしくもある。単なる感冒だったので二度と来院され顔を合わせることもないかもしれないが、もし次があれば失望させない様にしないといけないなぁ。

もう一人の書き残したい患者Bさんは、99歳ゆえに筋力低下とか腰痛とかから自宅で転倒され基幹病院に入院した後に介護施設に数カ月入所後、車椅子生活が可能になり退院した後に当院の定期診察へと戻ってこられたわけである。さすがに顔も身体も足もほっそりし、弱弱しさが隠せないでいるが、認知症とは無縁と言っても良い上品な99歳女性は、当院運営のデイサービスにも復帰されるそうだ。介護3から4に該当しそうな感じだろうか。

この数カ月間は身体のみならず、精神的にも弱さを引き出してしまった様で、かなり視力を失った両の眼の中にも強い生の活力は見い出しにくかったのが印象的だった。

そして最後に車椅子に乗って後ずさりするようにバックで診察室を離れる時、彼女は両手を胸の前で合わせ、穏やかな声で僕にこう繰り返した・・・「先生のこれまでのご恩は一生忘れませんから 決して忘れませんから」

願わくば、彼女のこれからの一生が出来るだけ長いものであってほしい・・・

振り返れば、もう15年近く前になる。当院開設直後に初診で飛びこんできた急性動脈解離の85歳だったが、色々ありはしたものの間もなく100歳を迎えようとされている。この15年間はどんな人生だったのか、月に一度診察室でお会いし短い会話を本人と家族とするだけだったが、あの日救急車に飛び乗って大学病院へと運び込んだことが少しでも感謝していただけてたら嬉しい。本当に救ったのは大学病院の医師たちだった訳で、僕の様な診療所の医師ではないのだが、それでもこう手を合わせて感謝されると「医者になってホントに良かった・・」と思える瞬間なのである。

しかしながら、今日も沢山の高齢患者や要介護者を診察したが、ささえる患者家族の存在と言うものは医師の存在の何倍も重要だと常々感じていて、独居老人や親類縁者と疎遠な、あるいは子供たちとも仲違した高齢患者達に接すると少々いたたまれない気分になるのである・・・

読んでくれてどうもありがとう