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Back To The Street ふろむ診療所

似てるのだろう、多分

先日、60年前に都内の産院でほぼ同時刻に産れた2人の子供が取り違えられたことが報道されていた。

福山さん主演の邦画、【そして父になる】は観ていないが、イスラエルを舞台にユダヤパレスチナ問題を扱ったフランス映画での子供取り違え【もう一人の息子】を観ていたので、報道を聞いて・・・「えっ、実話?  60年?」と驚いてしまった。

なにやら「裕福な家庭」と「貧しい家庭」との取り違えの様な報道のされ方だったが、正直なところ少し違和感を覚えてしまった。

「貧しい家庭」・・・どうも、原告となった取り違えられた男性が5歳の時に育ての親が他界して母子家庭となったらしい。

「裕福な家庭」・・・どうして一家が裕福になり、また裕福さを維持出来ているかの報道は良く知らない。職業や資産などは報道されたのであろうか?

精神的なことは別にして、経済的に絞っても、裕福とか、貧しいとか、一体何で決まるのだろうか? 生まれて生涯ずっと裕福さが保証された家庭ってどれくらいあるのだろうか? 都心や地方中核都市の真ん中に広く不動産を持っていたり、創業一族として有力企業の有価証券を引き継いだり、特許資産や印税収入が多いなど不労所得だけでも特段の収入があれば別だろうが、今の日本ではなかなか少ないのではなかろうか?

僕の子供たちは顔はそれほど似てはいないが、妻が浮気するとも思えず、生まれた場所もハッキリ判るので取り違えなどなかったと信じれるのだが、仮に取り違えが生じていたならば、報道はどのようにされたのであろうか? 

確かに「裕福な開業医の家庭」と今なら報道されるかもしれないが、我が家はホントに裕福なのであろうか?

しかし、もしも10年前に僕が事故死や病死していたならば、当時の借金は3億円もあって現金預金や不動産は皆無だったから、いくら直前まで開業医家庭であったとしても裕福どころか「悲惨な巨額借金家庭」と言わざるを得ないだろう。取り立て業者に追い立てられる生活だったであろう。しかし、「貧しい元開業医の家庭」とマスコミが報道するとは思えない。

もしも明日になって僕が医療事故を起こし巨額の補償を苦に自殺したら、同様に「貧しい家庭」へと一気に転落していくことだろう。なかなか「裕福な家庭」であり続けるのも容易ではなかろうし、生まれた時の暮らしぶりが好転するのも暗転するのも正に時の運と思えるのだが、それでも「生まれた家の貧富の差」を損害賠償の対象として考えることが出来るのだろうか? 今回の場合も、もしも父親の死去が反対の家庭で生じていたら、貧富の差は同様に生じたのだろうか? あるいは逆転もあり得たのだろうか?

まあ、真相も知らずに勝手に批判をするのも良くないのでこの程度にしておくが、貧富の差などという人間の運命なんて簡単にひっくり返るのが世の常だと思うし、共産革命など生じれば、容易に富裕層は身ぐるみ剥がされ殺されてきたのが中国など身近な共産国家の「不都合な真実」なんであろう。僕も来年の事は判らないと思っている。だからこそ、一生懸命良くなろうと毎日努力を続けている・・・

さて、前置きが長くなった。

今日は他の医療機関に長く通院している老齢のご夫妻が当院初診となった。心臓を詳しく診て欲しいと言われるので紹介状が無かったがヒマだったので診ることにした。

一通りの診療が済んで診察室を出て行かれる際に、「お父さんと実によく似てありますね・・」と言われた。確かに段々と親父に容貌も仕草も怒りっぽさも似て来ていることを実感していただけに、「やっぱり似ちゃったのね。嫌なとこも多いんだけどね。これも運命だろうね・・」と嬉しいやら悲しいやら複雑な心境だった。

親父は様々な病気で入院歴も手術歴もあるし内服薬の種類も多いのだが、そこだけは似たくない・・と思ったところで体質は似てくるのは医学的な真実だし、でも、どっちかと言うと喜ぶべきなのだろうと感じながら、寒くなった今日の一日中、多くの風邪の患者の診療を続けていた。 

産んでくれてどうもありがとう