Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

吉野ヶ里にて倭国を想う

大嫌いなGW(愚痴週間)が終わってホッとしている。かくも人間というものは他人の幸福を嫉妬してしまうのかと我が身の弱さを痛感している。太古の昔にも嫉妬心とかあったのだろうか?

大昔、少なくとも記紀の時代には「国民の祝日」なるものはなかったろうし、農耕と狩猟とを天候に任せて生きている限り続けながら小さな集団で暮らしていたのであろう。納税という概念もなかった時代はある意味今よりも幸せだったのではなかろうか?

f:id:murasawatakehiko:20150224162203j:plain

 

先日観た万葉集に関するDVD映像の中である学者が佐賀県にある遺跡「吉野ケ里」の重要性を解説していた。彼によると、天智時代に白村江の戦いで敗れ天武・持統天皇の7世紀後半の時代まで九州にも大和王権に匹敵する九州王朝がなかば並存していたというのだ。

f:id:murasawatakehiko:20150224162233j:plain

 

それは邪馬台国卑弥呼の系統かもしれないし、物部に攻め滅ぼされた磐井の系統かもしれないが、いずれにせよ倭の王という身分で朝鮮半島で永らく捕虜になった人物と関連する王朝が恐らくは福岡県太宰府にあったであろうと解説していた。大宰府が単なる地方官庁としてより遥かに重要視されていた点も納得がいくのであるが、吉野ヶ里は彼によると魏と対峙していた呉が東シナ海を越え有明海から倭国に侵攻してくる際の重要な軍事基地としての役割を果たしていたのであろうとのことだった。

その際、関連する神社として彼は脊振山脈の長野峠と美津是峠の間にある「雷山」を大王と深い関係のある場所(山)と位置づけていたのだが、ちょっと違うような気がする。雷山からは吉野ヶ里大宰府も見えないのである。やはり直接見える位置にあることは非常に魅力的な仮説となるはずだ。

 

吉野ケ里遺跡は脊振山脈の山裾から細長く舌状に南へ延びた小高い丘陵に存在している。いくら低くても確かに遠くが見えて田畑にも近く水害にも強い地形は大集落の場所として敵地だと感じてはいたし識者もそう説明している。ただ、山裾から2kmほど有明海川に位置する理由がもう一つわからなかった。中途半端な気がしていたのだ。その点に言及する学者の言葉も見つからない。

しかし、それは現地を訪れてみてハッとしたのである・・・

f:id:murasawatakehiko:20150224162254j:plain

吉野ケ里遺跡公園の東門前からの写真であるが、ちょうど木と木の間の山頂に鉄塔が数本立っているのがお分かりになるだろうか? これは福岡県と佐賀県を境する脊振山脈の最高地点、標高1055mの脊振山頂にある自衛隊基地の設備である。あそこからは北に博多湾玄界灘、東北東に大宰府政庁、南に吉野ヶ里有明海、西に雷山がよく見えるのである。

 

f:id:murasawatakehiko:20150224162328j:plain

f:id:murasawatakehiko:20150224162341j:plain

当時の倭国にとって、朝鮮半島からの侵攻は玄界灘博多湾から、中国大陸からの侵攻は有明海からを想定して南北両面作戦が必要だったと想像される。これは今の時代のように通信手段も交通手段もなく、人口も少なかった当時としては大変な困難だったと思われる。それでも白村江の敗戦で防衛は非常に重要になり九州北部を中心に山城を沢山築いて備えたわけである。その先駆的な大規模軍事基地が吉野ヶ里だったということは出土品から推測されるが、今の自衛隊が基地を建設したように、当時も脊振山頂に防衛目的の「見張り基地」を持っていたのではないかと僕は推測している。

 

仮に博多湾側から侵攻があれば脊振山頂基地で発見して狼煙などで情報を素早く大宰府吉野ヶ里に伝達可能であり。有明海川からの侵攻も素早くキャッチして吉野ヶ里に伝えることが出来る。その山頂が見えるギリギリの場所が今の吉野ヶ里遺跡の場所であり、あと数百メートル北に寄れば脊振山頂は手前の山で見えなくなるし、南に寄れば丘陵地帯も終わって平地となり軍事的価値が大きく減じるのであり、まさにギリギリで最高の立地条件を備えているのである。

f:id:murasawatakehiko:20150224162359p:plain

 

この見解を今だ他の人が詳しく論じているのは見つけられないのだが、脊振山頂に登って東西南北を眺め地図を見つめなおすと間違いないと確信している。いつの時代からかある山頂の神社と自衛隊レーダーの共存が何かを語っていると思う・・・

GW 最終日・・・

f:id:murasawatakehiko:20150224162537j:plain

およそ90kmほど、標高1000m の脊振山頂を跨いで福岡県と佐賀県の山道をサイクリングして楽しんだ。GW期間中に約420kmほど走ったことになる。4日間で標高780m, 600m, 1080m, 1000m, 680m, 640mの峠を越えることが出来た。そう考えるとよく頑張ったかなぁと思うが、元気な人生の期間もそう長くは続かないだろうし、いつまで峠越えサイクリングが楽しめるかもわからない。

f:id:murasawatakehiko:20150224162550j:plain

 

長い歴史と比べれば個人個人の人生なんてあっと言う間にしか過ぎないのである。愚痴を言ってる暇なんて実はないのかもしれない・・・

読んでくれてどうもありがとう