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ツール・ド・東北 2014 ③

170kmを走り始めたのは午前6時・・・ 周囲は深い霧の中だった。走り出したとたんに寒さを感じ遅れることを覚悟でウインドブレーカーを着こんだ。ただ、どうしても眼鏡が霧で濡れて前が見えず、指をワイパー代わりにして事故に注意しながら進んだ。

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ようやく霧が晴れてくるとそこには次々に仮設住宅らしき姿が・・・ そして、その前には沢山の人々が応援の旗を振り様々にエールを送ってくれる。昨年の「応援してたら 応援されてた」という話を聞いてはいたが、まさにその通りだとすぐに感じた。

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そしてまた前が見えにくくなって・・・ 今度は霧ではなく恥ずかしながら涙が溢れてきて景色がぼやけてしまった。これは170kmの道中、何度も何度も経験したことだった。泣きながら、作り笑いをしながら沿道の応援の人々に手を振り返し声を掛け返している自分自身を想像なんてしていなかったが、こんなに温かな応援のサイクリングイベントは全国でも類をみないのではなかろうか?

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テレビで見た仮設住宅がすぐそこに・・・

そして減ったと言われながらもこれほど多く・・・

思いの外、凄く明るい表情で応援をいただけて・・・

もうホントにどっちが応援してるのか全く大逆転の暖かな人々がそこに暮らされていた・・・

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女川エイドステーション直前の建物にはテレビで見覚えがあった。

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広い広い北上川にかかる橋のたもとの小学校の特徴ある建物をコースを離れて身にうかがった。手を合わせるもののまた涙、子供たちの悲劇はこの地形だったのか・・・と実感し恐ろしくなった。

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防潮堰の横の建物を眺めながら参加していたアメリカ人が盛んに「あの家だぜ・・」と話していたが、20数名の彼ら彼女らは「オトモダチ作戦」の延長なのであろう。とても逞しく感じた、もちろん走りも。

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なんと言っても圧巻は南三陸町志津川の防災情報会館だった。コースを離れしばらく足を止めて近くで手を合わせるが、どうしても嗚咽がこみあげてきてしまい、我々がサイクリングで当地を走り回っていてもいいものか? と、人生を楽しみ仕事もして家族と暮らせる我が身の幸福を大事にしながら生きていこうとその場で誓った。

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歌津駅は立派に残ってはいるが、その前後の線路はズタズタでこれから先も鉄道の復活は無いのであろうと申し訳ない気分だった。

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そんな遺構の残酷な現実を実際にこの目に焼き付けて、3年半前の震災直後の東北の姿に思いをはせたが、着々と復興が進む中で、「ひょっとしたら人々は返ってこないのではないか? インフラ改善後も不安ばかりの暮らしがそこにはあるのであろう。

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ちょうど100km走ったところの気仙沼市本吉という地点で復路となったが、気仙沼漁港までの220kmコースではどんな景色が見えたのであろうか?

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読んでくれてどうもありがとう

④に続く・・・