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Welcome To The Heartland

Back To The Street ふろむ診療所

神籠石は興味深いなァ

憲法学者さん達が色々と語っておられますが、金科玉条日本国憲法が公布されてまだわずか70年ですね。沖縄辺野古への基地機能拡張移転工事阻止に向け中国人や韓国人が活躍しているようですが、この沖縄基地問題も70年の歴史しかありません。

もちろん、70年は人の一生に匹敵する長い時間であり、大いに尊重しなければならないのですが、何事も「これまでの日本および周辺地域での長い長~い長~~い歴史」の中で必要性(例えば基地問題)や政治的強要(例えば憲法問題)などがあったのでしょう。

そして第二次世界大戦後の70年間で、日本は最も素晴らしい国の一つになりました。戦勝国の皆さん方は、「勝者の横暴」に酔って無茶苦茶をし続けていますし、「勝者に隠れた敗者」の復讐心は人類の最も醜い一面をさらけ出しています。

 

この新しく出現した「連休」も僕にとっては辛いだけの存在です。毎年5月のGWは嘆きの時期でしたが、これからは9月にも嘆きの季節が巡ってくるとは・・・「デモ」くらい出来る暇が欲しいですね。あんな奴らのために高額納税をすべくGWもSWも連休無しの人生は悲しいものです。

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さて、そんなSW・・・時間を探して日曜日と火曜の夕方に自転車でチョット出かけました。楽しかったです。

火曜は混んでない誰も行きそうもない場所を交通費無料の自転車で尋ねました。実は生まれて初めて観に行ったのですが、興味深い場所でした・・・【女山神籠石】

ちなみに【女山】の女は女王様・・・つまり卑弥呼です、多分

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これ、70 x 60 x 40 cm 位に切り揃えられた石が標高100~200mあたりの小高い山を約3kmほど列をなして人の手で並べられた構築物です。

主に北九州地域にあり瀬戸内海地域と合わせ16か所が確認されています。

主に2つの説があるようです。

A説は 朝鮮式山城の遺構  

B説は 神聖な神が籠る領域を囲う境界線

 

A説が今では有力らしいですが、神籠石の由来はB説ですね。現場に行くと、A説もB説もどちらもあるようで無いようで・・・ 

まあ、恐らくA説が近いのでしょうが、「いつ」 「誰が」 「何の目的で」 造ったのか? そして、なぜ巨大な一大事業日本書紀に全く記されていないのか? という非常に大きな謎もあるようです。

A説の朝鮮式山城に関しては、白村江の戦いに敗れた天智・天武天皇の名で朝鮮半島からの防衛を目的に建設を急がせた福岡県の大野城佐賀県の基山城や熊本県の菊池城(それぞれ名前は少し違いますが)などが有名で日本書紀などに記載されているようです。でも、神籠石の方は全く記載がない。少し形態も異なるが、3kmの石の城壁は大野城などよりも巨大かもしれない。

詳しくは他の歴史研究者のブログなどで観て欲しいし、パクリ写真を一枚載せておきますが、どうも本格的研究者が居なくて、大きな謎のままのようです。

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でも、これは非常に興味深い。

多分、大野城などよりも古い・・・ 邪馬台国より新しく、磐井の乱の前後か?

多分、有明海からの敵の侵入に備えたもの・・・ 女山、高良山、帯隈山、おつぼ山

多分、瀬戸内海からの敵の侵入に備えたもの・・・ 御所が谷、唐原

多分、壱岐方面からの敵を見張るもの・・・ 雷山

多分、遠賀川からの敵を見張るもの・・・ 鹿毛

宮地岳有明海方面からの敵から大宰府を守り、杷木も東の日田盆地経由の敵から筑後平野や大宰府を守る目的でしょう、多分

 

これ・・・・ どう考えても邪馬台国の様な重要な古代国家の流れをくむ重要地域を守るための集団的自衛権行使の様相かと思います。

女山のその場所から高良山と帯隈山、そして脊振頂上が素晴らしく良く見えます、お互いに・・・

色々と考えはありますが、もっと謎が解明されれば、邪馬台国の謎も解けそうな気がします・・・

この神籠石の配置からは、その重要な場所はなんとなく、福岡県の甘木と瀬高、佐賀県の吉野ケ里を頂点とする三角形の中にあると思いますね。多分、そこが邪馬台国の時代からずっと重要な場所なんでしょう。

今日はこれ以上詳しく書くわけにはいきません・・・(笑)

さてと、もうすぐSWが終わる・・・ウレシイ